はじめまして
君の瞳にへのへのもへじです
私の祖父
私の祖父は、父方も母方もすでに他界してる
父方の祖父は、私が生まれた時にはいなかったので知らない
父に写真を見せてもらったことはあるが、ほとんど見たことがないから顔も名前も覚えていない
母方の祖父は、私が小さい頃に亡くなった
少しは覚えてるし、初めてお葬式を目の当たりにしたのが祖父だった
それもあって、忘れられない
それと、私には祖父に対して強い後悔がある
私はそれをずっと引きずってた
夏休みやお正月などの休みはもちろん、土日の普通の休みでも母の実家に行ったりしてた
結構、頻繁に会いに行ってた記憶がある
母は、祖母から父との結婚を反対されていたそうだ
母は祖母に対して反発心が強くて、反対を押し切って結婚したと聞いた
絶縁するかも状態だった
母も意地になってたところはある
それでも、祖父が母の味方でいてくれたらしい
夫婦喧嘩が絶えない祖父母だったらしいが、祖父は自分の子ども達には愛情をかけてたようだ
母は祖母のことが嫌いだったが、祖父のことは大好きだった
私なんて両親どっちも好きじゃない
片親だけでも、大好きって言えたら良かったのにな
兄貴が生まれたことで、祖母はコロッと態度を変えた
母は祖母にではなく、祖父に初孫を抱かせてあげたくて実家に帰っていたみたいだ
祖父は兄貴を溺愛した
やはり初孫は可愛いんだろうか
私はそうでもなかった
可愛がってもらった記憶がない
私の後悔
私が覚えていないだけで、祖父は私のこともきっと可愛がってくれたと思う
私が覚えてるのは
私はいつもあんずちゃんと遊んでたってことだ
あんずちゃんと私だけの世界を作ってるようだと大人達からは言われた
祖父が入れてほしそうにしてたのに、私はじいじあっち行ってよって冷たい態度をとってた
自分が言ったことを覚えてるわけじゃない
よくそう言ってたことを母に言われたから認識してるだけだ
祖父との楽しい思い出は覚えていない
祖父が病気で大変だったことしか覚えていない
その頃にはすでに罪悪感みたいなものが私の中にはあった
兄貴はじいじっ子だったから、入院してる祖父のお見舞いによく行ってた
私は罪悪感もあったから兄貴にくっついてお見舞いに行ってた
お見舞いに行っても、そんなに祖父との時間はなかった
自販機でジュースを買ってもらって待ってたことの方が多かったように記憶してる
退院した祖父はお腹に切り込みを入れられていて、そこから排泄物を出してた
あれが一時退院だったのかはわからない
そんなことは小さい子どもになんかわかるわけない
最期は病院だったから
あの日は金曜日だったかもしれない
小さい時には聞き分けの良い大人しい兄貴だったが、この時ばかりは祖父に会いに行くと聞かなかった
当時住んでた家は、母の実家からは離れていてそんなにすぐ行けるわけじゃなかった
困った母はとりあえず、兄貴と私だけを連れて祖母に託して一度家に戻った
そのまま祖母と病院に向かう
祖父のお見舞いに行くも、そのまま亡くなってしまった
祖母が母に連絡してたのを今でも覚えてる
あんな母だけど、祖父が亡くなった時の悲しい顔が忘れられない
私は初めて、人が死ぬってことがどういうことかを知る
もっと優しくしてあげればよかった
あんずちゃんと遊んでた時にも仲間に入れてあげればよかった
覚えてないけど、酷いこと言ってごめんなさい
祖父が亡くなってから、ずっと後悔してた
ふとした時に思い出す
後悔のせいか、私は度々祖父のお墓参りには行ってた
祖父が眠ってる場所は遠いし行きにくい場所にある
頻繁には行けないけど、行ける時には行くようにした
私は祖父に懺悔しに行くのだ
ずっと後悔をひきずったまま私は生きてた
許される
私はずっと祖父にもらったヘビの貯金箱をもってた
使いづらい貯金箱だったけど、祖父にもらった物だったから手放せなかった
いつまでも私は祖父のことを引きずってた
最近までその貯金箱はもってた
でも、断捨離をした時に思い切って手放すことにした
私はようやく許されたような気持ちになった
物は物でしかない
思い出は私の中にある
祖父が私を許さなかったわけじゃない
私が自分を許さなかったんだ
私の懺悔はようやく終わった
終わらせることができた
今日は、祖父の命日だ
祖父への罪悪感じゃなくて、孫として祖父を思い出すよ
おわりっ
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