はじめまして
君の瞳にへのへのもへじです
イメージ最悪
自己中
昔はこの言葉を言われたくなかった
だって、自分のことしか考えてない奴は酷い奴って思われるから
学校教育では、自己中を良しとしない
みんなのことを考えるのが当たり前の教育をされる
実際、集団行動をするにはなくていいものだ
何でも同じ
自分のことよりもみんなのことを
自己中なんてありえない
自己中=悪い子
そんなマイナスイメージを植え付けられた
今の私にとって、学校教育こそが悪だ
人間関係の変化
昔は人が好きだった
今は嫌いだ
人の嫌な面ばかり見せられたから
私は真面目だったし、素直だったし、正義感も強かった
常にみんなのことを考えてたよ
その頃は人が好きだったから、クラスメイトはみんな友達って思ってた
だから、自然に優しくできた
困ってる子には自然に声をかけた
手を差し伸べるなんて偉そうなことは言わない
あの頃は、純粋な気持ちで誰かの役に立ちたかった
みんなのことが好きだったから
自分のことよりも人の為に
私は学校教育によって洗脳されていただけにすぎなかった
純粋だった私の無垢な心を返してほしい
人に利用されてるって気づいた時には、人を嫌いになってた
私の優しさに付け込んでくる奴
そんな人間を見てたら嫌になるのは当然だ
人は純粋な心のままでは生きていけない
だから、みんな変わっていってしまう
人はどんどん薄汚いものに染まってく
そのことに私は耐えられなかった
私は昔の自分を捨てた
人
私は今でも、一緒にいて楽しい、気が楽、素の自分でいられるのは夫だけだ
唯一、夫だけが私の世界の住人かもしれない
あんなに人を好きだった人間が、人を嫌いになった途端
どうやって人と接してきたのかを忘れてしまった
今まで、どうやって自然に話してきたんだろうか?
今まで、どうやって自然に声をかけてきたんだろうか?
今まで、どうやって自然に友達を作ってきたんだろうか?
何もわからなくなった
話すことなどないのに愛想笑い
一緒にいたいわけでもないのに上辺だけの友達を作ってその場をしのぐ
学校というもんは残酷だ
むやみやたらに仲間意識を作り出す
集団行動を押し付けてくる
その集団行動ができない人間は、学校という一つの社会から追放される
学校で生き残るためには何らかのグループに属さなければならない
それが嫌なら自ら去るか、強く生きていくしかない
人生100年時代の今、学校なんてほんの一瞬の出来事だ
そんな一瞬の出来事に一生を左右される地獄
私の人生は私のもので、誰かの為に生きているわけでもないのに
人は一人で生きてるわけじゃない
そんなことわかってる
当たり前だと思ってる日常
その日常は当たり前なんかじゃない
水が飲めるのだって当たり前じゃない
電気が使えるのだって当たり前じゃない
ご飯が食べれるのだって当たり前じゃない
人は誰かのおかげで生きていける
そんなことはわかってる
でもそれ、自己中関係ないよね
人を思いやることは大事なことだ
自分も誰かの思いやりで助けられてることもある
でも、他人のことばかり考えるのは、自分を苦しめてるだけだ
無理することなんてない
生きにくい世の中
優しさと偽善は違う
学校教育で私が教わったのは偽善だろう
学校教育で私が失ったのは純粋な心と優しさ
特に中学時代は酷かった
私の学校生活を天気で表すなら
中学時代はずっと曇りや雨だった
人の優しさは、先生や男子の点数稼ぎと言われる
グループ以外の人とは一緒にいちゃいけない雰囲気
人を助けると偽善者扱い
仲間はずれ
中学生になるとどうしてこうなる?
私は人を嫌いになった
今ではほとんど人と関わっていない
昔は知らない人でも、困ってる人には声をかけた
今はほぼそんなことはしない
他人なんてどうでもいい
どうでもいいと思ってるのに
あの時声をかけなかったことを気にしてしまう
知らない人だし、他の人だって気にしてないだろう
それなのに、さっき声をかけなかったことにヤキモキしてしまう
助ける助けないで、葛藤する日々を送ってる
私は未だに非情にはなれないらしい
自己中
誰かの為に行動してきた私
自己中を毛嫌いしてた私
今思う
自己中で何が悪い?
誰かの為に自分を犠牲にして本当に正しいの?
誰かの為って誰の為?
他人からの評価の為?
自分を良く見せる為?
自分の人生って誰かの為にあるの?
自分を利用したいだけの人にも犠牲を払うの?
だったら、冷たい人間と思われても
自己中の方が良い
手を差し伸べる相手は私が決める
おわりっ
次回の投稿は
8月24日(水)10時です
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