はじめまして
君の瞳にへのへのもへじです
正しいとか間違ってるじゃない
誰にも平等に接するなんてことは不可能だ
好きな人もいれば嫌いな人もいる
どうでもいい人だって世の中には存在する
自分の中で優劣がつけられた人間関係において、平等なんてありえない
みんな、自分にとって都合の良い人が好きだ
都合が良い人でいる間だけは、好きでいてもらえる
都合が悪くなれば、嫌われるだけだ
そうやって、いくつもの人間関係を終わらせてきた
そんなもんに振り回されてきたことを思い返すと、実にくだらないと今なら思う
人はみんな、嫌われることを恐れる
私もそうだった
でもさ、みんなに好かれるなんて無理でしょ
差別と平等
学校、しかもクラスという狭い世界に閉じ込められる子ども達
その中でしか生きられない怖さ
クラスの中だけで友達を作らせようとしてくる学校
部活とかもあるけど、どんなに仲の良い友達がいてもクラスが違ったらどうする?
クラス対抗○○
グループ遠足
グループ発表会
何かとグループやペアを作らせて行事や授業をやらせたがる学校
独りになるのが怖い
仲間外れは恥ずかしい
いろんな感情があって、何とかグループに入ろうとする
たとえ嫌いな人がいても、そのクラスにいる限り、離れることはできない
小学生の頃、差別することなく平等に接するように教えられた
純粋だった私はそうあろうとした
小学生までは、クラス全員友達って思ってた
ある時担任の先生に、大人しくて友達が作れない子のことを気にかけるように言われた
私は違和感と不快感で、その先生を嫌いだと思った
仲の良い子は当然いたけど、自分なりに平等に接してたつもりだ
それを、その子だけ特別扱いしろと私に言ってきた
今だから思う
平等ってなんだ?
その子は本当にそんなこと望んでたのか?
クラスに馴染めない子を無理やり輪の中に入れるってどうなの?
普通にしか思ってないクラスメイトに、何で私がそんなことやらなきゃいけなかったんだ?
教えられてきたことと、やらされてることが違うんだけど・・・
平等ってなんだ?
小学校の担任の先生で唯一大っ嫌いだった人だ
その後、進級してクラス替えがあって担任が変わった
それで、隣のクラスの先生が、生徒をえこひいきする人だった
当時でさえ、疑問に思ってた
所詮、教育者も人間
好き嫌いの感情はある
教育者であろうが、人を差別する
じゃあ、平等であれと教えるな
人を嫌うなと教えるな
世の中には差別がごろごろ転がってる
現実に目を背けるような教育はやめろ
好き嫌い
私達には感情がある
その感情のせいで、正しい判断ができないこともある
感情をコントロールしてこそ、ヒトは人間でいられるんじゃないだろうか?
とは言え、感情のコントロールなんて完全にできるわけもない
好きな人には優しく
嫌いな人には冷たく
どうでもいい人には無関心
態度に出てしまう
でもさ、そんなの当たり前じゃん
好き、嫌い、どうでもいい、自分の中で優劣が存在してるのに、全員に平等に接するなんて不可能だ
でも、私は考えた
全員に平等という意味を
自分の中に優劣が存在するならば、その感情に対して平等に接することはできる
スタートラインが同じなら、同じように接することが平等
スタートラインが違うなら、差別することが平等
そう考えれば、人によって態度が変わるのなんて当たり前だよね?
お店に行って、接客態度の良い人と悪い人で対応を変えるのは、至極当然の行為だ
一生懸命頑張ってる店員さんがミスをしても、私は怒らない
無愛想で、態度の悪い店員さんならこっちも容赦しない
いらっしゃいませも言わないで、お客を無視するような店員に、何故私が優しく接する必要がある?
気分良くいられる人と、気分を害される人で態度を変えるなんて当然
よく、人によって態度を変えることが悪のように言う人がいる
なんでダメなの?
私は自分の感情に従って平等に接してるだけですよ?
何もしてないのに、端から舐めた態度をとる人間は、こちらも同じ態度でいいと言ってるようなもんだ
普通に接してる店員さんに、横柄な態度をとる奴はただのクズ
そういう奴とは関わりたくない
みんなに優しい世界なんてもんは存在しない
でも、自分の周りだけは優しい世界を作ることができるかもしれない
気分良くいたいなら、好きな人と気分良くいられる場所に行けばいい
嫌いな人、自分を嫌ってる人、気分を害する場所へは行かない
意識すれば、それが広がって気分よく過ごせると思うよ
人によって態度を変えるなんて当たり前だけど
人によって態度を変えなくて済むようにすればいい
そうやって、自分の世界を作ればいい
おわりっ
次回の投稿は
11月30日(水)10時です
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