まじめじゃないっ

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はじめまして

君の瞳にへのへのもへじです

私という人間

正直、自分がどんな人間なのかいまいちわからない

正義感が強く、純粋な人間であったことは間違いない

ずっと、真面目な人間と言われ続けて生きてきた

頭が固く、四角四面で柔軟な発想と対応ができない人間だった

でも、ふと思う

私って本当に真面目だった?

本来、私は真面目な人間じゃなかったんじゃないかって疑惑が浮上した

洗脳

私は純粋だったから、洗脳しやすい人間だったと思う

以前書いたけど

私の良さが消されたのは小学校に入ってからだ

小学校低学年を受け持つには、厳しすぎた先生が担任だったことが私をダメにした

頭を抑えつけられて、自由な心を奪われた

学校教育が「私」という人格を壊した

嫌なことほど覚えてる

楽しいことなんてすぐ忘れちゃう

私は小学校3年生の頃の記憶がほとんどない

学校生活において、一番楽しかったからだ

楽しかったってことだけは覚えてる

運動会とか音楽発表会とか、覚えてそうな行事がいっぱいあるはずなのに、ほとんど思い出せない

担任の先生のことも大好きだった

私が私らしく、学校生活を送れた貴重な時間だったんだと思う

それ以外は、私らしく生きられなかったって言えるかもしれない

小学校の5~6年生の頃から、先生に真面目だと言われるようになった

この頃から、真面目という言葉が目につくようになった

真面目に○○する

その言葉は私の心に深く刻まれた

中学生になったら、校則校則の学校生活だった

制服のスカートは膝丈

校則は破らない

規則を乱すものは全て禁止

私の頭はどんどん固くなった

ダメなことはダメ

そこに明確な理由なんてもんは存在しない

お得意の

校則だから

ルールだから

そう決まってるから

日本人はそんな言葉に弱い

そう教育されてきたんだから仕方ないことだ

それでも、洗脳されない人がいるし洗脳が解ける人もいる

そんな人を悪者にしたり、変人扱いする

今考えると、そういう人ってちゃんと自分の意思で生きてたんだなって思った

凄い人だったんだな

高校生にもなると、私の洗脳は完了してしまっていたようだ

夫に出会った頃だ

夫曰く、頭が固く、学校教育によって完成された人間だったようだ

そうやって、私のような人間を作り出すのが学校教育の目的だ

制服のワイシャツのボタンは一番上まで留める

それがあの頃の私だった

親からも真面目だとよく言われた

そうやって言われれば言われるほど、私の頭は固くなっていった

必死に、真面目に生きようと努力してた

無理してやってる時点で、本来の自分じゃないって気づけなかったのか?

視野が狭すぎて、私の世界はちっぽけで小さいものだった

ずっと、息苦しかった

本当の自分

長期に渡り、洗脳されたことってのはそう簡単に解けるわけじゃない

私は夫と出会って、少し変わった

私には、夫にしか見せられない顔がある

すました顔ばかり見せてきたけど、私はどうやらアホだったようだ

お笑いなんて好きじゃありませんけどって言いながら、夫にはバレてた

夫と出会ってから、少しずつ変な自分が出てくるようになった

結婚前後くらいに、あんずちゃん姉妹にポロっと冗談を言ったことがある

その時の居たたまれない空気・・・

「そんなこと言う人じゃなかったよね」

凍り付いた空気に、言うんじゃなかったって後悔した

日頃、夫に言うようなことを兄貴の前でも言ったことがある

「は?お前何言ってんの」

夫なら笑いながら突っ込んでくれたことを冷めた目で見られた

こっわ

私は一生、夫以外の前では真面目な人間を演じ続けないといけないようだ

私が実は、真面目じゃなかったかもしれないってことに気づいたところで

私を知る人間の前ではふざけられない

身内にすら、私の素顔を見せられないのだ

それに、私自身も無意識に真面目モードに切り替わってしまう

洗脳が解けても、今度は女優にならんといけないらしい

真面目だった私を知らない人と出会いたい・・・

一から人間関係を作ったとしても、私は人が怖いのだ

他人からの評価を気にしてしまう自分がまだいる

私は夫以外に、素の自分を見せる勇気は今のところない

洗脳が解けようとも、急には変われない

染みついた汚れを落とすには、時間がかかるもんだ

おわりっ

次回の投稿は

12月21日(水)10時です

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