はじめまして
君の瞳にへのへのもへじです
憎しみ
人を好きになったり、嫌いになったりする
感情とは厄介だなと思うことがある
嫌うだけならまだしも
憎むこともある
自分でも制御できないところまでいくと、もうどうしようもない
憎しみに支配される
感情を支配するのは己自身のはずだ
それなのに、感情に支配される
支配されたら負けだ
自分の意志で感情をコントールすることができれば、何も悩むことはない
多くの人は感情に支配されている
だからこそ、他人との衝突を避けることができない
少し前、ある漫画を読み終えた
諌山創先生の「進撃の巨人」だ
ずっとアニメ派で、原作は読んでいなかった
情報量の多さや、謎ばかりで考察が捗る作品だった
昨年、夫が全巻購入したので読ませてもらった
アニメだけでは読み取ることができなかった登場人物の感情や
勘違いしてたことが修正されてすっきりした
この作品に触れたときに印象的だったのが、恐怖と憎しみだ
感情とは厄介だ
何がきっかけで、どこからが始まりなのかがわからなくなる
何も知らないまま奪い、奪われる
なぜ奪われるのかの理由を知ることもできず、人生を終える方がいいのか
その理由を知って、知らないままでいたかったと思うのか
それとも、そんな理由で奪われていいわけがないと思うのか
なぜ、奪い奪われるのか?
自分のせいなのか?
歴史のせいなのか?
私たちがいま生きている世界
歴史を振り返るだけじゃなく、継続されてる感情が存在する
奪われた憎しみの感情だ
その時に生まれてもいない人間までも憎まれる対象になる
その時に生まれてもいない人間が憎むよう教えられる
こんなことをしていたら、いつまで経っても終わることはない
たとえ、その憎しみの連鎖を終わらせることができても
また新たな憎しみが生まれる
生きるために奪うのか?
憎しみという感情だけで奪うのか?
利益のためだけに奪うのか?
生物から争いを取り上げることは不可能なのかもしれない
小さな火種
ほんの些細なきっかけで争いにまで発展することがある
何が人の逆鱗に触れるかはわからない
小さなことでも、積もれば大きなものになっていく
争いは戦争だけじゃない
一番身近なのは自分の周りの人間関係だ
家族とだって争いになる
こんなものをなくすなんて無理だと思った
ちょっとしたことで、気に入らないって思ったりするんだから
戦争反対って言うなら、身近な争いにも反対してほしい
人は派手に目立つことにしか目を向けられない
争いになるまでどうして放置してたの?
(放置してたわけじゃないとは思うけど)
「どっちが始めたとか関係なく、戦争やったらどっちも悪いよ」
そんなことを夫が言うから、その通りだなって思った
正義とか関係ない
戦争やったらどっちも悪いしどっちも負けだ
やりたい奴だけ参加すればいい
だけど、現実はそうはいかない
やりたくない人も巻き込まれて犠牲になる
どうしてやりたくない人まで巻き込むの?
どうして誰かの憎しみを一緒に背負わされるの?
どうして憎くもない誰かを憎ませるの?
どうして?
会ったこともない国の人を憎いと思ってしまう
自分がやったわけじゃないことに反省しろと言われる
いつまで続けたら許すの?
いつまで続けたら許されるの?
いつまで続けたら終わるの?
消えることのない感情
何度も言う
感情は厄介だ
幸福や人を思いやる心は大切にしたい
でも、負の感情がなぜ存在するのか?
争うように生み出されたとしか考えられない
差別し争うように設計されてるんじゃないかって思ってしまう
大切な家族ですら憎むことがある
私も両親を嫌っている
憎しみでいっぱいになったこともある
この感情は本当に必要なのか?
今でも、両親にされたことを忘れることはできない
散々嫌な思いをさせられた、昔務めてた職場のことも
嫌なことほど忘れることはない
人は憎しみを忘れない
だからこそ、争いはなくならない
憎しみの感情ほど怖いものはない
それでも、私たちには許すという感情も残されている
許す心を忘れない限り、私は人間でいられる気がする
おわりっ
次回の投稿は
2月1日(水)10時です
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