後悔と言い訳

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はじめまして

君の瞳にへのへのもへじです

葛藤

人は誰だって強気な自分と弱気な自分を持っている

それが悪いことじゃないって思いたい

私自身がそうであって、その差が激しい故に嫌気がさすことがあるから

善悪と一緒で、いつも正しくいられるわけじゃない

そういう自分を許してあげようと思う反面、このままじゃいけないとも思う

たまに、自分がどんな人間なのかを見失ってしまうことがある

自分のことを客観視することもやっている

それでも、自分という人間がわからなくなる

自分軸を持とうと思い、自分の価値観などを見つめ直そうとしている

そうすることによって、答えが見えてきたりする

小さな積み重ねによって自分がどう在りたいかを探している

女々しくてつらい

私はいつも言い訳を考える

できない、やらない理由を探している

女でも女々しくて嫌になる

ひらめきがあって、何かをやろうと思ってもすぐに行動しないことがほとんどだ

さっさとやればいいのに、別のことをやってしまう

優先順位違くね?

って自分で自分に突っ込みそうになる

行動を起こすことが怖いのかもしれない

そんなのは私の甘えだとわかってはいる

そう思いながらも自分に言い訳する

つまんねー人間だなってあきれる

うじうじ後ろ向きなことを言えば

「らしくないじゃん」

と夫に言われる

私らしいって何だろう?

夫には私がどんな人間に見えているんだろうか?

夫は私を買いかぶりすぎている

何かを成してくれると思っているらしいが、私にそんなことができるのか?

そんなプレッシャーにも似た何かを背負いながら、私は今日も何事も成していない

気づき

最近気づいたことがある

何で後悔するのかということに

人生後悔の連続だ

後悔する理由を2つ思いついた

行動したけど選択をったことによる後悔

行動しない後悔

行動したけどダメだった後悔はもうしょうがない

行動しただけ立派だ

でも、行動しない後悔ってくそじゃんって思った

行動しないくせに悔んだりするって

後悔する資格すらない気がする

祖母が亡くなったことをきっかけに、私はまた一つ気づきを得た

祖母のことはもう随分前に私の中で決着がついていた

命は尽きるものだと真に理解しているから

私の心は一切乱れなかった

心乱されたことと言えば

祖母が亡くなる前に顔を見せたかったと言ったあんずちゃんの発言だ

その後の葬儀云々、喪服がないだのなんだとかき乱されてるあんずちゃんに私は

めんどくせっ

と思ってしまった

詳しくは「心」を読んでほしい

後悔するくらいなら生きてるうちにやれ

そう思った時、気づいた

命に対してだけは後悔したくない

やるだとかやらないだとかでうじうじすることが嫌で、何とかしたいと思ってた

それでも、たった一つだけこれだけは後悔しちゃだめだって思った

今目の前にいる猫を大事にしよう

命には限りがある

亡くなってから後悔しても遅い

もっと可愛がってあげればよかったなんて、失った命に自分の罪を嘆いても意味はない

そんな理由で後悔しているやつに泣く資格なんかないなって思った

私はいつか猫の命が尽きるその時には、泣きながらありがとうと言えるような自分でありたい

私は自分の家族を大切にする

夫との時間、猫たちとの時間を大事にする

これだけは後悔したくないってことがちゃんとわかった

自分の価値観が少しずつ定まっていくように思えた

そう思うなら

後悔するとわかっているなら

やれ

これが今の私の考え方だ

亡くなる前に顔を見せたかった

そう思うなら生きてるときに何で会いに行かなかったの?

死なないと思ってたの?

いつかみんな絶対死ぬんだよ

後悔の程度には大小あるけど、私は命に重きを置くようになった

それが私の一つの軸となった

命にだけは後悔も言い訳もしたくない

おわりっ

次回の投稿は

6月7日(水)10時です

このブログを書いてる途中

猫におやつをあげ、なでなでしていたので、全然進まなかった

それでいいと思った

いつでもウエルカムって子ばかりじゃない

かまってほしい時もあれば、触ってほしくない時もある気分屋さんがいる

最近は以前よりも猫が生きていることの喜びを噛みしめている

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