当たり前と有り難う

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はじめまして

君の瞳にへのへのもへじです

普通に生きてると

普通に生きてると、忘れてしまうことは多い

自分が健康なことも

誰かの助けがあって生きていることも

隣にいてくれる人のことも

自分一人では生きていけないことを忘れてしまう

「当たり前のことを当たり前だと思った瞬間、人は感謝を忘れ怠惰になる」

そんなようなことを夫が言ってたので、自分なりの言葉にしてみた

もしかしたら、誰かが言った言葉かもしれないけど

当たり前だと思うなよ

数年ぶりに帰省した兄貴だが、両親とは何かと衝突する

兄貴に初めてブログをやってることを打ち明けた

もちろんどんなことを書いているのかは言っていない

だから、こうして兄貴のことを書いているのも秘密だ

バレたら大変なので、私の素性は明かさない

私のことを知りたがる人間はいないが

私の書いていることが全て本当のことかはわからない

ということだけ書いておく

本当は兄貴なんていないかもしれない

結婚しているのも嘘かもしれない

真実は知っている人間にしかわからないということだ

誰もが真実だと思っていることが、実は嘘だったなんてことはその辺に転がっている

「人は、都合の悪い真実よりも信じたい嘘を信じる」

どっかで聞いたような言葉だ

脱線してしまったが、私に兄貴がいるという設定で話を進めていく

私の兄貴は昔から、実家を辛気臭いと言っていた

大学から実家を出た兄貴は帰省する度、嫌な思いをして帰っていく

毎回嫌な思いをするのに、なぜ兄貴が帰省するかと言うと

別に家族に会いに来ているわけではなく、友達に会いに来ているのだ

表面上は仲の良い家族に見えるが、全然家族じゃなかった

いろんな理由があるだろうけど、兄貴が実家を蔑ろにしていることが両親は氣に食わないらしい

結婚しても、マスオさんに近い状態がどうにも両親の怒りポイントのようだ

「嫁の実家ばかりに氣を遣って、うちには何もない」

そんなようなことを言っていた

兄貴が帰省したら、食費やら全て親持ちだ

でも、両親が兄貴のところに行ったとしても親持ちなのだそうだ

その点、私は出すときは出す

結婚してからは夫が出してくれる

食事に連れて行ったり、お茶に誘ったり、家に招いた時は夫がおもてなしをしてくれる

私も昔は、両親がやってくれることやお金を出してくれることを当然のように思ってた

私は母にトラウマを植え付けられたせいもあって

こっちも生まれたくて生まれてきたんじゃないんだから

自立するまで面倒見るなんてことは、当然の権利だと思っていた

お金に関してはブツブツ文句を言われたこともあるが、不自由させられたことはなかった

自分なりの遠慮や我慢は当然したけど、学校には通わせてもらえた

奨学金を借りることもなかったし、経済的な理由で退学する人がいる中で普通に卒業した

私と兄貴はそれを当たり前だと思っていた

ある時、それが当たり前じゃないってことに氣付いた

そう氣付いたのは結婚してからだったように思う

私は両親のことが好きじゃないけど、学校に通わせてもらえたことは感謝していると伝えたことがある

嫌な思いはしたけど当然だと思ってたことが、実は当たり前じゃなかったことに氣付かされて

私は両親へ感謝の気持ちを言葉にするようになった

親子の縁を切ろうと本気で思ったこともあるけど

今は、嫌なら会わなきゃいいし、助けてもらえるなら助けてもらっている

借りを作るのは好きじゃないので、ウインウインの関係でいられるようにしている

そうしないと両親の機嫌も悪くなる

いくら親子でも、利を得られない状態はお互い良くない

兄貴は頭は良いけど、そのことをわかっていない

兄貴は今だに、親がやってくれることを当然だと思っているようだ

両親の都合も考えず、急に帰省すると連絡があったかと思えばそのまま放置

周りを振り回し、帰省すればやりたい放題

兄貴が帰った後で、うちに来たときは凄い剣幕でやってきてブチ切れていた

私も両親が来るまではイライラしていたけど、母の怒りを見た時に引いた・・・

うわあ、人が怒ってるの見ると冷静になるわぁ

客観的になら、怒りは醜いものだとわかる

「当たり前だと思うなよ」

母は悔しそうに涙をこらえて激しい怒りを見せた

相手によっては見返りを求めることがある

見返りを求めなくても、感謝はされたい

当たり前だと思われた瞬間、終わってしまう関係もある

「親子の縁を切る、絶対許さない」

なんて母が言うから

それに囚われるのはよくないよ

と私が言っても聞く耳持たなかった

まあ、なんだかんだ兄貴には甘いところがあるからほとぼりが冷めるのを待つとする

有り難し

有り難しが変化した言葉が有り難うなのだと

あることが難しいという意味だそうだ

自分たちが日頃、忙しさにかまけて忘れてしまう感謝の心

当たり前だと思っている日常は当たり前じゃない

誰かが頑張ってくれるおかげで、その当たり前が守らていることを覚えておきたい

おわりっ

次回の投稿は

9月27日(水)10時です

ちなみに、私に友人はいない

何となく疎遠になった友人もいたが

無礼な人間を排除していった結果、誰も残らなかった

その点、学生時代からの友人と今でも会っている母と兄貴が羨ましくなるときもある

ただ、私に友人がいなくても何も困っていないし面倒ごとがなくて楽だ

人を好きだった人間がこんなにも人嫌いになれるのか自分でも不思議だ

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