はじめまして
君の瞳にへのへのもへじです
和裁士
高校を卒業した後、私は和裁士になるために専門の道に進んだ
自己紹介にも書いたと思う
たった3ヶ月で辞めてバイト生活を経て短大に入り直した
高卒で就職したくないという強い思いだけで、進学を選んだものの
飽きっぽい性格を自覚する前の進路選択に失敗した
大学を受験するのが面倒だったという理由もある
行きたい大学もなかったし、自分が何を学びたいのかもわからなかった
そんな時に卒業生の話を聞く機会があって、和裁士のことを知った
日頃、和服を着ることはなかったけど好きだった
七五三で着た着物は母のために祖母が仕立てたものだった
成人式のお祝いで着た振袖はレンタルだったけど、初詣には母のために祖母が仕立てた振袖を着た
私は成人の年に赤、白、緑、紫の4着もの振袖に袖を通した
祖母が自分で仕立てられる人だったし、たくさんの着物を持っていた
母は何かと着せられてきたけど、私には着せてくれなかった
そんな余裕もなかったので仕方ないとは思う
和服の美しさ、日本人としての誇りに憧れを抱いていた
進みたい道がなかったので、和裁士のことを知れたのは縁があるのかもしれないと思った
ただ、裁縫が苦手だということをすっかり忘れていた
体験入学に行き、面談と成績表だけで入学が決まった
入学までに運針の練習が課せられた
運針は、和裁の基本的な縫い方でこれができなければ話にならない
これまで、こんな縫い方をしたことがなかったから大変だった
まっすぐ縫うという当たり前のこともめちゃくちゃ難しかった
まあ、しっかり教えてくれるって話だったし大丈夫だろうと思った
そんなこと言うなよ
入学して最初にやったのは研修だった
全国から集まった新入生の交流会を兼ねたものだった
通常、着物は1つの反物を裁断して仕立てる
それが、反物を裁断しなくても着用できるってことを見せてもらった
着用してる着物は仮縫いになっていて、糸を取ったら反物に戻るという凄いものを見た
合宿みたいな感じで和気あいあいとしていた
研修が終わって、最終日には卒業式に参列した
体験入学でお世話になった先輩にとてもきれいな人がいた
私が入学するときには卒業してしまう人だったので少し寂しい氣もした
それがまさか卒業式を見られるなんて思わなかった
研修の疲れもあって、若干面倒ではあったけどみんなの袴姿が素敵だった
でも、帰りの新幹線で酔って憂鬱な氣分で家に帰った
翌日だったかその次の日だったかは覚えていないけど、すぐ日常に戻った
新入生が最初に仕立てるのが女浴衣だった
道具の使い方や柄の合わせ方、裁断の仕方、縫い方などを学んだ
しっかり教えてくれるって言ってたから、裁縫が苦手でもきっとできるようになるって思ってた
それなのに、蓋をあければとんでもなかった
先生にこうしてやるんだよって見せてもらうけど
先生の周りに集まって見るので、逆から見ることもあって
よくわからないって状況が発生する
わからないことを先生に聞きに行ったとき
「1回で覚えて」
と、めんどくさそうにキツく言われた
初めてやることだし、職人技をそんな1回で覚えられるわけないだろって思った
1対1で、同じ向きで教えてもらってるならまだしも無理じゃね?って思った
物覚えは良い方だし、そこに必死さが加われば何度も聞くなんてことはない
でも、話が違うなって思った
それから、私が通ってたところは専門学校ではなく職業訓練校だったらしい
教材は売り物だ
初っ端から私たちは商品を扱っていたのだ
だから、納期が存在する
それまでに仕立てて、先生から検品してもらう必要があった
柄合わせをして裁断前に先生に確認してもらうなど、いくつか先生の許可をとる箇所がある
3ヶ月の間に、私は15反もの女浴衣を仕立てた
たった3ヶ月だけど、実にハードな3ヶ月だった
納期に間に合わせるために家に持ち帰って夜中まで縫ったり、休みの日でも縫った
当時付き合っていた彼氏(夫)との時間を作ることが、もの凄く大変だった
私、もう職人やんって思ったりもした
嫌だったのは緊張で手汗をかくことだった
色の薄い反物なんかはシミになりやすい
先生に注意されて、手袋をつけさせられた
先生の言葉にちょっと傷ついた
結局、手袋つけながらだとやりづらいし逆に汗かくからやめた
こまめに手洗いしたりハンカチで拭くことにした
慣れれば大丈夫なんだけど、緊張しやすいせいで体にでるのが嫌だった
先生の「1回で覚えて」と手汗への注意でプレッシャーとストレスが半端なかった
全然できない子が一人いて、先生がつきっきりになってて、不公平だなって思った
しかもその子は浴衣が縫えずに、長襦袢を先生に教えてもらっていた
みんな長襦袢からでよくね?
環境も良くなかった
裁断用の立ち台を4人くらいで使っていた
裁断ができないと進まないのでその調整にもうんざりしてた
お昼休憩は教室が狭いせいで2部制で
一部の立ち台を机代わりにするので、そこの席の人は作業ができないという最悪な状態になる
外に出ることもできないので、居場所がないことも嫌だった
とにかく息苦しい環境だった
私はそんな息苦しい環境と、裁縫が苦手なのに要求されることが多すぎて嫌になった
しっかり教えてくれるって言ってたから
少しずつ上達していく喜びを感じながら成長していく想像をしてた
現実は納期に追われ、自分の技術を最速で向上させなくてはいけなかった
私が辞める少し前に辞めた子がいた
その子は服飾科の高校を出てるようなことを言ってた
自信満々で、私以上に縫える人なんて新入生の中にはいないとでも思ってるような感じだった
そんな子が私よりも先に辞めた
厳しい世界だなって思った
結局、私は男浴衣や子ども浴衣を教わることなく、女浴衣だけで終わった
長襦袢を縫うことも、普段着や訪問着などだんだん難しくなってくる着物たちを仕立てることもできず
夢のまた夢で終わった
辞める時に、話し合いをなんて言われた
その日はバイトの面接だったので、荷物の回収も兼ねて母に行ってもらった
私の成績は全国で半分より上だったらしい
私はいつもこんな感じだ
苦手だと思っていることも全体を見るとできる部類に入ってしまう
それがいつも私を苦しめる
劣等感を埋めるための努力は、周りに期待を込めて厳しくされるようだ
辞めようと思う前に、現状把握と先生の優しい言葉があったらもう少し頑張っていたかもしれない
怖い
この和裁学校での経験で、何度も同じことを聞いてはいけないんだと思うようになった
「1回で覚えて」
私はこの言葉が頭から離れなくなった
何度も同じことを聞いたら怒られるって怖くなった
1回で覚えられなくても、2回までにしようって思うようになった
頭がパンクするんじゃないかって思うほど、必死で覚えるようになった
そのせいで、できるやつだと思われ、放置されることになった社会人・・・
この話はまた今度
おわりっ
次回の投稿は
10月18日(水)10時です
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